テリーってどんな人??

こんにちは、テリーです。

私は台湾で生まれましたが、中国語、英語、日本語、フランス語、ドイツ語、トルコ語、スペイン語は仕事レベルで使いこなせ、それ以外にも自由にコミュニケーション取れる言語が数多くあります。

私はアメリカのカンザス大学大学院言語学修士課で、言語について深く学びました。

その後、理想の語学教育を実現したいと言う思いで、2015年3月、南京東路に「多國語言café」をオープンし、マルチンガルのスタッフと一緒に様々な国籍の語学学習者へのカウンセリングや、図書館や大学での講演を行っています。

私の語学習得の歴史。

私、テリーは台北生まれです。国語は中国語で、授業も中国語でした。

しかし、アニメやゲームを通じて、英語や日本語はできるようになって行きました。

大学は農学部で生物を勉 強しようと台湾大学農学部園芸学科に入学しましたが、 そこでラテン語の授業を担当していた康老師という教授が多言語を操るのを見て、目が覚めた思いがしたのです。

まずは11 カ月間、フランス理工科大学へと留学することにしました。
最初にフランスを選んだのは、『モンテ・クリスト伯』『レ・ミゼラブル』 などのフランス文学に興味があったからです。

留学に備えて毎日インターネットでフランスのテレビ番組を見たリ、ラジオを聴いたリしていました。

今考えると、この時から私は「語学習得とは何なのか」 と言うことのヒントを得ていました。
フランス語のテレビ番組は、何を言っているのかわかりませんでしたが、聞き取れなくても、音楽を聴くように楽しいのです。

語学に対するアプローチの基本は、”まず音から"と言うことにも気づきました。

フランス語をマスターした後は、今度はドイツ語を学び始めました。
ヨーロッパ囲内の言語は系統が違うだけで、根源が一緒。だから一つを完璧にマスターしてしまえば、あとは割と簡単なんだとわかりました。

実際この期間にドイツ語もマスター出来て、翌々年にはドイツ交流協会から奨学金をもらってミュンスター大学へ短期留学しました。

大学卒業後は台湾大学理学部大学院の動物学科へ入学しました。しかし実験室生活が肌に合わず、1 年で退学しました。

その後は兵役と日本へのワーキングホリデー滞在を経て、本格的に言語学を学ぶため、アメリカのカンザス大学大学院言語学修士課程の門をたたきました。

言語学も最近では細分化され、ある特定言語の構造やしくみを紐解いたリ、人間の脳がどのように言葉を感知するか、といった科学的な研究も進められています。

その中で私は「音声学」、特に「音声配列」について専門的に研究しました。

「母語以外に話せるのは英語だけ」という研究者も多いですが、私はより多くの言語を学びたかったので、カンザス大学大学院在学中にも、夏の研究費を使ってエクアドルやトルコのボアジチヘ短期留学もしました。

エクアドルではケチュア語を話す部族の人たちと生活を共にし、 卜ルコでは反政府デモにも参加して、催涙弾を浴びたこともあります。

私の語学論理を系統化して、多くの人に伝えたい。

大学院卒業までに学んだ8カ国語のうち、ケチュア語を除く7 カ国語はニュースも聞き取れるようになり、ビジネスでも使えるようになりました。(ケチュア語のニュースを聴くこと事体が難しいので)

実際、アメリカから帰国後は語学の勉強を続けながらフリーランスで通訳や翻訳を経験しましたね。

その後、2015年3月、南京東路に「多國語言cafe」をオープン しました。
「語学教育の理想を実現したい」というのが一番の動機 だったのです。

スタッフ4 人全員が3 、4 カ国語以上を話せる「多國語言cafe」は、スタート当初こそ資金難で苦しみましたが、天下雑誌という有名雑誌で紹介されたことをきっかけに利用者が急増しました。

そのおかげもあり、オーナーでマルチリンガルの私は、色々な方々に声をかけられるようになりました。

2016年からは台北図書館や成功大学などから講演や講座を依頼されるようになリ、現在は各地での講演を月に3 、4 回こなしながら、様々な国に出かけています。

時間の合間をぬって、高雄のユースホステル旅悦青年旅館(Dwell Hostel)」と協力して立ち上げる多言語交流会の準備、カフスタッフとの打ち合わせ、土曜日の朝には語学学習者を対象にしたカウンセリングも行っています。

最近自分で自分を「国際ホームレスです」と挨拶することがよくありますね(笑)。

今考えると、多言語カフェを始めたことで、本当に多くの出会いがあり、私の人生が変わったと思っています。

自伝書籍を発行したことで、台湾では多くの語学を身に付けたい人たちが、私を頼ってくれるようになりました。

そんな中、私の中に生まれたのが、「日本人に中国語の習得方法を伝えたい」 と言う思いです。

私は学生時代に日本語を音楽やドラマで身に付けてきました。

私は日本が好きだし、そこで生まれている文化や人が大好きです。

だからこそ、日本で中国語習得に悩んでいる人に、一番楽しくて集中的に語学習得する方法を伝えたいのです。

 

日本では年号が「令和」となり、生き方にも様々な道が生まれていると思います。

中国語が話せるようになれば、今まで知らなかった多くのことや価値観を知ることができ、あなたの人生がより色とりどりに鮮やかなものになることでしょう。

 

私は決して天才だった訳ではありません

両親が客家人だったので、家の中には「國語(標準中国語)」と「客家語」という二つの言語が飛び交っていたのですが、私は未だに「客家語」が話せません

両親が私に聞かれたくない話を客家語でしていたため、あえて聞かないようにするのが習慣になってしまったのです。

私にとって、客家語は災難の言葉になりました。
テレビ禁止とか・・・ ゲーム禁止とか・・・ PC禁止とかそういうことばかりをコソコソと準備する言葉なのです。だから学びたいと思わないし 一言も喋りたくないし そのうち・・・ 「ありがとう」も言えなくなりました。

日本語や英語はゲームやアニメで理解できるようになっていたのにです。

 

つまり、ボク自身でも、情緒など、越えられない心因性の問題により言語が身につかないことがあるのです。

これは環境よりも重要な要因です。

こんな言い方があります。「 It's all in your head.(すべてはあなたの想像の産物) 」

こうした障壁はあなたの想像なのです。実在しているわけではないのです。

 

私が語学教育を通常の学校教育と違うやり方でやるべきだと考えたのには、こういう私自信の経験があり、多くの語学を学ぶ仲間の様子を見てきたからです。

だからこそ、多国語習得活動を始めました。

 

もし、あなたが話したい言葉が「あなたにとって災害の言語」にならないように、私の今までの経験を詰め込んで、一緒に楽しく言語に触れてみませんか。

きっとその先には、新しい扉を開いた色とりどりの世界が広がっていることでしょう。